大混乱
2001年4月27日例えば、
あのひとが私に向かって
厳しいコトバを
言ったりする。
ソレは私のことを想っているからだ、
と
アタマでは理解っている。
でも
私はどうしても「捨てられた」としか思えない。
例えば、
あのひとが私に向かって
優しいコトバを
言ったりする。
ソレは私がただ「大事」であるからだ、
と
アタマでは理解っている。
でも
私はどうしても「恋愛感情」として受け取ってしまう。
例えばここで、
この場に遺書を書いて、
左の手首の
動脈を掻き切って、
そんなことをすれば、
あのひとは
私でいっぱいになる。
とか
思っている。
苦しんで、苦しんで、
壊れて。
そうなっても
私のことでいっぱいになるなら、
私はそれで満足なのだ。
ねぇ?知ってる?
あなたが泣いている間、
私がひどく安心しているのを。
あなたが壊れるのを見て、
恐ろしい反面、
とても満足しているのを。
そうやって苦しんでいるのは
「私」が原因だから。
「私」のことで苦しんでいるから。
私がこの世からいなくなったら
多分あなたはマトモには生きていけない
でしょうけれど、
でも、
私でいっぱいになるね。
それが
後悔であれ
悲しみであれ
怒りであれ。
私が自ら命を絶とうとする理由は
2つ。
生きている、今が、ツライ所為と
死ぬことによってあなたと一つになれること。
「ごめんね。私が我儘だったね。
もう元気でたから大丈夫。
これから、すこし我儘ひっこめるようにするね」
と言えば、
あのひとはさぞかし安心するのだろう。
そして
多分、
2日か3日後には
そのような台詞をしゃあしゃあと
吐くのだろう。
そして
その何日後か、一週間後くらいには
また混乱におちいるのだ。
このパターンを何度繰り返したのだろう?
そうして、
それで何が良くなったのだろう?
疲れた。
でも、
もうあのひとにすっかり浸かってしまっている。
そうして私は
また
混乱と
自傷と
我儘と
崩壊と
暗鬱と
自責と
偽善と
破壊を繰り返すのだ。
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