6月23日 くもり つらつらと思ったこと。
2001年6月23日朝、
意外な、でも予想していた結果に驚く。
そして、文面を見て、あまりの痛さに
涙をこぼし、壊れたコトバを吐き出し、
ソレを、UPした直後に後悔した。
それからしばらく考え込みモード。
動きたくなかったが、部活なので
仕方なく、学校へ行く。
そのとき暇つぶしで読んでいたのが
坂口安吾の「白痴」。
・・・結果的に、コレが私の思考の暴走を
止めてくれた。
●私と一緒にいた時間より、
あのヒトと一緒にいた時間のほうが
長かったのだった。
・・。
いくら「時間など関係ない」と言ったって、
互いの深くを理解するのには
長い時間が必要なのだと思い知る・・。
つまりは、私は傲慢なだけだったのだ。
●彼のため・・・・ではないが、
自分も頑張ろうと思った。
不本意な選曲だったし、
皆、やる気があまりないけれど、
それでも最後のコンクールだし、
なにより、これで私まで良くない結果だったら
なんとも情けないと思う・・・のだ。
だから気合いれようと思った・・・。
●こういうとき、団体と個人は違うなと思った。
うちら(吹奏楽)は大会等で結果が良くなくて
悔しい思いをしても、一緒にやった人数分、
その思いを分割できるが、個人だと、
その思いが全て自分ひとりにのしかかってくる。
しんどいのだろうな・・。
ただ、そのぶん、うちらは一人一人の
「責任」が、重く重くのしかかる。
誰か一人が失敗しただけでも、
すべてぱぁになってしまうのだから。
・・・。
それぞれにそれぞれの苦労があるのだ。
●とにかく、声を聞きたかった・・・。
そして、学校行って、部活。
講師の先生がたくさんいらっしゃってて、
タイヘンだった・・・・・のは
パーカス以外・・・?
パーカスだけレッスンもなにもなく、
しかも1年生はD部門の曲の合奏を始め、
私とY子とM本とE塚さんは
合奏室で、なんとも暇なときを過ごしていた。
途中で練習に飽きて、
そのあとはずーーーーーーとサボって
ダベっていた。
1年生のI本さんの話なんかをしていた。
「怖い」と。
彼女は1年生なのだが、
小学校からパーカッションをやっており、
キャリアいえば、うちら3年をも
抜かしてしまう。
それでも一応「先輩」なので、
なにかと注意やらアドバイスをすることがある。
でも、そうすると、
「あ、でも、これはこう教わったので・・」
などと言われ、言いくるめられてしまうことが
多い。自分の意見を曲げないのだ。
あるときは、面倒なパートを、
便宜上、いたしかたなく、
(コンクールは大体1年生は出られないので、
主要じゃないのをやってもらおうと)
I本さんに
「これ・・やってくれる?ごめんね。いいかな?」
とやんわりと頼んでみたところ、
「まぁ、命じられればやりますけど」
と言われて、びっくりしたこともある。
彼女の威圧感で、なにも言えなくなる自分が
なんとも情けない。
「ヨワイなー」と
よくY子に言われる。
まったくもってそのとおりなのだが・・。
でも、どうしてもひいてしまう・・。
彼女に限らず、
経験者の1年生というのはなんともやっかいだ。
つい最近まで、中学校で3年生として
いばっていた(というと言葉が悪いが・・)
ときの感覚や、経験者であるプライドというのが
あって、それがなんとも、
「先輩」であるこちら側の気分を悪くする。
技術で3年を抜かしてしまう・・・・ということは
あまりないが、2年を抜かしてしまうという
「下克上」的現象はそこここにおきている。
実際にうちのパートもそうである。
「吹奏楽」という「先輩・後輩」の
上下関係が他よりもしっかりしている部で、
そんな現象がおこってしまうのは
なんとも奇妙な気分だが・・・。
そして、その微妙な関係をパートで
とりもたなくてはならないパートリーダーって
やつは大変しんどいものがある。
幸いにも(?)うちのパートは
コンクールのオーディションに2年を抜かして
1年が受かってしまう・・・ということはなかったのだが、ホルンやらトランペットは、
そんなのがおこりそうで、気苦労が絶えない・・。
運動部と似たようなカンジだが、
運動より技術の差がはっきりとでてしまうぶん、
なんとも言い難いものがある。
おまけに「音楽」(に限らず芸術一般に言えるが)
をやってる連中は大体が自己中でプライドが
山より高い・・・・ときたもんだ。
・・・
まぁ、私はもうコンクールが終わって、
高文連で演奏すればもう引退になるので、
すぐこのドロドロからは抜け出せるのだが・・
・・2年生に、なんとも頑張ってもらいたい。
とくにK嶋さん・・。
・・。
ハナシが発展しすぎて、
吹奏楽トークで延々と埋めてしまった・・(汗)
当初の目的だった文章構成はどこへやら・・。
反省です・・。
さてもういいかげん書いたので、
キレが悪いですが、これでオシマイにします。
それでは。
意外な、でも予想していた結果に驚く。
そして、文面を見て、あまりの痛さに
涙をこぼし、壊れたコトバを吐き出し、
ソレを、UPした直後に後悔した。
それからしばらく考え込みモード。
動きたくなかったが、部活なので
仕方なく、学校へ行く。
そのとき暇つぶしで読んでいたのが
坂口安吾の「白痴」。
・・・結果的に、コレが私の思考の暴走を
止めてくれた。
●私と一緒にいた時間より、
あのヒトと一緒にいた時間のほうが
長かったのだった。
・・。
いくら「時間など関係ない」と言ったって、
互いの深くを理解するのには
長い時間が必要なのだと思い知る・・。
つまりは、私は傲慢なだけだったのだ。
●彼のため・・・・ではないが、
自分も頑張ろうと思った。
不本意な選曲だったし、
皆、やる気があまりないけれど、
それでも最後のコンクールだし、
なにより、これで私まで良くない結果だったら
なんとも情けないと思う・・・のだ。
だから気合いれようと思った・・・。
●こういうとき、団体と個人は違うなと思った。
うちら(吹奏楽)は大会等で結果が良くなくて
悔しい思いをしても、一緒にやった人数分、
その思いを分割できるが、個人だと、
その思いが全て自分ひとりにのしかかってくる。
しんどいのだろうな・・。
ただ、そのぶん、うちらは一人一人の
「責任」が、重く重くのしかかる。
誰か一人が失敗しただけでも、
すべてぱぁになってしまうのだから。
・・・。
それぞれにそれぞれの苦労があるのだ。
●とにかく、声を聞きたかった・・・。
そして、学校行って、部活。
講師の先生がたくさんいらっしゃってて、
タイヘンだった・・・・・のは
パーカス以外・・・?
パーカスだけレッスンもなにもなく、
しかも1年生はD部門の曲の合奏を始め、
私とY子とM本とE塚さんは
合奏室で、なんとも暇なときを過ごしていた。
途中で練習に飽きて、
そのあとはずーーーーーーとサボって
ダベっていた。
1年生のI本さんの話なんかをしていた。
「怖い」と。
彼女は1年生なのだが、
小学校からパーカッションをやっており、
キャリアいえば、うちら3年をも
抜かしてしまう。
それでも一応「先輩」なので、
なにかと注意やらアドバイスをすることがある。
でも、そうすると、
「あ、でも、これはこう教わったので・・」
などと言われ、言いくるめられてしまうことが
多い。自分の意見を曲げないのだ。
あるときは、面倒なパートを、
便宜上、いたしかたなく、
(コンクールは大体1年生は出られないので、
主要じゃないのをやってもらおうと)
I本さんに
「これ・・やってくれる?ごめんね。いいかな?」
とやんわりと頼んでみたところ、
「まぁ、命じられればやりますけど」
と言われて、びっくりしたこともある。
彼女の威圧感で、なにも言えなくなる自分が
なんとも情けない。
「ヨワイなー」と
よくY子に言われる。
まったくもってそのとおりなのだが・・。
でも、どうしてもひいてしまう・・。
彼女に限らず、
経験者の1年生というのはなんともやっかいだ。
つい最近まで、中学校で3年生として
いばっていた(というと言葉が悪いが・・)
ときの感覚や、経験者であるプライドというのが
あって、それがなんとも、
「先輩」であるこちら側の気分を悪くする。
技術で3年を抜かしてしまう・・・・ということは
あまりないが、2年を抜かしてしまうという
「下克上」的現象はそこここにおきている。
実際にうちのパートもそうである。
「吹奏楽」という「先輩・後輩」の
上下関係が他よりもしっかりしている部で、
そんな現象がおこってしまうのは
なんとも奇妙な気分だが・・・。
そして、その微妙な関係をパートで
とりもたなくてはならないパートリーダーって
やつは大変しんどいものがある。
幸いにも(?)うちのパートは
コンクールのオーディションに2年を抜かして
1年が受かってしまう・・・ということはなかったのだが、ホルンやらトランペットは、
そんなのがおこりそうで、気苦労が絶えない・・。
運動部と似たようなカンジだが、
運動より技術の差がはっきりとでてしまうぶん、
なんとも言い難いものがある。
おまけに「音楽」(に限らず芸術一般に言えるが)
をやってる連中は大体が自己中でプライドが
山より高い・・・・ときたもんだ。
・・・
まぁ、私はもうコンクールが終わって、
高文連で演奏すればもう引退になるので、
すぐこのドロドロからは抜け出せるのだが・・
・・2年生に、なんとも頑張ってもらいたい。
とくにK嶋さん・・。
・・。
ハナシが発展しすぎて、
吹奏楽トークで延々と埋めてしまった・・(汗)
当初の目的だった文章構成はどこへやら・・。
反省です・・。
さてもういいかげん書いたので、
キレが悪いですが、これでオシマイにします。
それでは。
コメント