またもやとりとめなく・・。
2001年11月28日はいほい。
今日も相変わらずそこはかとなく死にたいさんでした。
ぼんやりまったりと、生きてる意味やら価値やらを
失っていってましたわ・・・・。
ははは・・・。
でもまぁ、
そんなに酷いものじゃないから、
ぼけけけ〜っと、「死にたいンかなーあたし」なんてぇ
思ってるだけだったんですけど・・・
ですけど・・・・・・
ときどき・・・
落とし穴に落ちるが如く、すとーーーーーーん!と、
いきなりものすごーく、死にたい発作に見舞われるときがあります。
そんなときは、きまって、自我とかフっとぶほどの哀しみが襲ってきて
しばらく茫然自失となってから、
「・・・・・今日こそは実行ね。ドアノブで首吊りね・・。」
などと思ったりします。
まーぁ、
何らかの外界の刺激によって、いつも立ち直っちゃうんですけどね。
でもなー・・。
立ち直らなければ、死ねたんかもしんない・・。
とか思うと、なんともフクザツで御座います。
やっぱし、
まだまだ怖い怖いって気持ちが大きいんですようぅ。
**************************
しばらく前に、あたし、
とあるお方に「泡みたいなひと」と言われたことを思い出しました。
その人は、人は必ず死ぬものなんだから、誰がいつ死のうと
あんまり頓着しない・・・という考えの人でした。
あなたが死にたければ、本当に死ぬことしか道がないのなら、
どうぞ、好きに死んでください。
とあたしに言うような人でした。
(なんだか最近、考えが変わってきたみたいですが・・)
あたしは、本当にその人のことが好きだったので、
そんなふうに言われたのは、ショックだったし、
すごくすごく哀しくて寂しかったのを覚えています。
でも、その考え方はひとつの真理だなぁ・・。
なんて感心してしまったのも、事実だったりします。
あたしの周りの人が、そんなふうな考えの人ばっかりだったら・・。
確かに、寂しいけれど、でもすごく楽かもしれません。
ヒトが、あたしに優しくする理由が分からないです・・。
あたしが、あの教室のなかで、
「あたしの存在空間をつくってくれている人」
なんていうのは、ごくごく少数しかいません。
他の人は、
あたしなど、いてもいなくてもどっちでもいいと思っている人。です。
そのような人たちが、ときどきあたしに話し掛けてきます。
とくに用事などもないのに。
何故なのでしょう??
あたしに好意をもっているわけでは、決して、ないのです。
なのに、何故、あたしに笑いかけるのでしょう?
その瞬間以外のときは、
あたしが此処にいることすら気付いていないような人が、何故?
**************************
あたしは、きっと罰をうけているのかもしれません。
**************************
多分、あたしが死んでも、なにも変わらないのでしょう。
涙はいつか乾くし、記憶は薄れていくのです。
人間はそういうふうに創られたモノですから。
あたりまえのことです。
あたりまえのように、あたしは此処からいなくなるのです。
でも、
どうやら、あたしは、上記のことが上手くできないらしくて。
記憶というものが、アタマにこびりついて削げ落とすことも不可能。
と、いうやっかいな頭をしています。
それはときとして、異常なまでの被害妄想をうみだします。
でも、それはあたしの頭のなかだけで処理しなければいけないのです。
オモテに出したら、
あたしが好きな人が傷つきます。
数少ないあたしを慕っている人が消えていきます。
だから、抱え込みます。
必死に必死に抱え込みます。
哀しいです。
哀しくて哀しくて仕方がないけれど、
抱え込んでいくしか、今は方法がみつかりません。
抱え込んでいくのは、ひどく、疲れます。
だから、もう、逃げたくなるのです。
静かで静かでなんにもなくなって思考もなくなって静かで真っ白でなんにもない全くなんにもないトコロに行きたいのです。
あたしが死んで、心から泣いてくれる人なんて、
そうそうめったにはいないけど、
でも、いつかそれも忘れる日がきます。
あたしは皆の記憶からなくなっていくのです。
そうして、真っ白になります。
消えたい。と、何度も思いました。
今まで存在していたことなど全部なくなって、
あたしごとそっくり消えればいい。と、思っていました。
でも、そんなんことは不可能で・・・・・・・。
それに一番近づける「死」を選びたいと思っていました。
今も、ぼんやりと、思っています。
もっと、他にも考えていることはあるけど、
今日はここらへんでね。
今日も相変わらずそこはかとなく死にたいさんでした。
ぼんやりまったりと、生きてる意味やら価値やらを
失っていってましたわ・・・・。
ははは・・・。
でもまぁ、
そんなに酷いものじゃないから、
ぼけけけ〜っと、「死にたいンかなーあたし」なんてぇ
思ってるだけだったんですけど・・・
ですけど・・・・・・
ときどき・・・
落とし穴に落ちるが如く、すとーーーーーーん!と、
いきなりものすごーく、死にたい発作に見舞われるときがあります。
そんなときは、きまって、自我とかフっとぶほどの哀しみが襲ってきて
しばらく茫然自失となってから、
「・・・・・今日こそは実行ね。ドアノブで首吊りね・・。」
などと思ったりします。
まーぁ、
何らかの外界の刺激によって、いつも立ち直っちゃうんですけどね。
でもなー・・。
立ち直らなければ、死ねたんかもしんない・・。
とか思うと、なんともフクザツで御座います。
やっぱし、
まだまだ怖い怖いって気持ちが大きいんですようぅ。
**************************
しばらく前に、あたし、
とあるお方に「泡みたいなひと」と言われたことを思い出しました。
その人は、人は必ず死ぬものなんだから、誰がいつ死のうと
あんまり頓着しない・・・という考えの人でした。
あなたが死にたければ、本当に死ぬことしか道がないのなら、
どうぞ、好きに死んでください。
とあたしに言うような人でした。
(なんだか最近、考えが変わってきたみたいですが・・)
あたしは、本当にその人のことが好きだったので、
そんなふうに言われたのは、ショックだったし、
すごくすごく哀しくて寂しかったのを覚えています。
でも、その考え方はひとつの真理だなぁ・・。
なんて感心してしまったのも、事実だったりします。
あたしの周りの人が、そんなふうな考えの人ばっかりだったら・・。
確かに、寂しいけれど、でもすごく楽かもしれません。
ヒトが、あたしに優しくする理由が分からないです・・。
あたしが、あの教室のなかで、
「あたしの存在空間をつくってくれている人」
なんていうのは、ごくごく少数しかいません。
他の人は、
あたしなど、いてもいなくてもどっちでもいいと思っている人。です。
そのような人たちが、ときどきあたしに話し掛けてきます。
とくに用事などもないのに。
何故なのでしょう??
あたしに好意をもっているわけでは、決して、ないのです。
なのに、何故、あたしに笑いかけるのでしょう?
その瞬間以外のときは、
あたしが此処にいることすら気付いていないような人が、何故?
**************************
あたしは、きっと罰をうけているのかもしれません。
**************************
多分、あたしが死んでも、なにも変わらないのでしょう。
涙はいつか乾くし、記憶は薄れていくのです。
人間はそういうふうに創られたモノですから。
あたりまえのことです。
あたりまえのように、あたしは此処からいなくなるのです。
でも、
どうやら、あたしは、上記のことが上手くできないらしくて。
記憶というものが、アタマにこびりついて削げ落とすことも不可能。
と、いうやっかいな頭をしています。
それはときとして、異常なまでの被害妄想をうみだします。
でも、それはあたしの頭のなかだけで処理しなければいけないのです。
オモテに出したら、
あたしが好きな人が傷つきます。
数少ないあたしを慕っている人が消えていきます。
だから、抱え込みます。
必死に必死に抱え込みます。
哀しいです。
哀しくて哀しくて仕方がないけれど、
抱え込んでいくしか、今は方法がみつかりません。
抱え込んでいくのは、ひどく、疲れます。
だから、もう、逃げたくなるのです。
静かで静かでなんにもなくなって思考もなくなって静かで真っ白でなんにもない全くなんにもないトコロに行きたいのです。
あたしが死んで、心から泣いてくれる人なんて、
そうそうめったにはいないけど、
でも、いつかそれも忘れる日がきます。
あたしは皆の記憶からなくなっていくのです。
そうして、真っ白になります。
消えたい。と、何度も思いました。
今まで存在していたことなど全部なくなって、
あたしごとそっくり消えればいい。と、思っていました。
でも、そんなんことは不可能で・・・・・・・。
それに一番近づける「死」を選びたいと思っていました。
今も、ぼんやりと、思っています。
もっと、他にも考えていることはあるけど、
今日はここらへんでね。
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